SUNTOURブランドは、東京でネジを専業としていた岩井製作所が、スプロケットやフリーホイールを製造していた前田工業と共同で製品化を推め、1950年代末、3段ギアの変速装置から始まりました。 岩井製作所はすぐに倒産してしまったため、サンツアー=前田工業として、認知されているのではないでしょうか。
最初は1970年頃、アメリカの自転車ブームから部品の供給が間に合わなくなったところで、日本の部品メーカーに門戸が開き、低価格品の代用での供給でしたが、その品質の高さが認められるようになり、ロードレーサーなどのスポーツバイク向けの製品ののシェアも伸ばしていきました。
競輪界のレジェンド中野浩一は、サンツアーの専属選手で、スプリント競技世界選手権で10連覇を果たしており、サンツアーの部品がその10連覇を支えていました。
その実績は、サンツアーの名とともに、広く世界に認知されました。
ロード、トラックモデルである、SUPERBE PRO(シュパーブプロ)は、シマノのDURA-ACEと並ぶトップグレードで、回転部分の精度や耐久性において定評がありました。
その造形も美しいこともあり、今でも根強いファンがいます。
今でこそ、シマノの技術力が最も高いと評されますが、当時シマノと技術を競い合ったサンツアーがまだ存在していたらどうだったかはわかりません。
紆余曲折あり、今では台湾の会社で R SUNTOURという名称が残ってはいますが、コンポーネントは製造しておらず、無くなったことを惜しまれています。
無くなってしまったものを復活させることも、当時のものを手に入れることも今の世の中では難しいです。
だからこそ、サンツアーのモデルには価値があり、そして歴史と想いがその製品に刻まれているのです。